「生き方」カテゴリーアーカイブ

東京タワーをはじめ、世界で光を演出する石井幹子氏

愛読書「致知2017.8号」の連載「命のメッセージ」(筑波大学名誉教授村上和雄氏の対談記事)に「こころに響く明かりの創造を求めて」のタイトルで、照明デザイナー石井幹子氏との対談記事があった。東京タワーが平成と同時にライトアップされたとのことだが、それをデザインしたのが石井幹子氏(1928年生まれ)だ。インターネットで調べると、50年近くの間、国内外で多数のライトアップ事業をされている。東京ゲートブリッジ、東京港レインボ−ブリッジ、横浜ベイブリッジ、明石海峡大橋、函館市や長崎市、倉敷市、鹿児島市の景観照明、 姫路城、白川郷合掌集落、浅草寺など国内だけでなく、海外の作品には、ジェッダ迎賓館(サウジアラビア)、ノ−スウェスタン生命保険ビル(アメリカ合衆国)、メルボルンセントラル(オ−ストラリア)、 パンパシフィックホテル(シンガポ−ル)、コンベンション・エキジビジョンセンタ−(香港)、大韓生命ビル(韓国)、上海ワールドフィナンシャル センター(上海)などがあり、ハンガリーブダペストのドナウ川にかかるエリザベート橋ライトアップも石井氏の作品だ。
東京藝術大学を出られ、家電製品や車のデザインを手掛ける工業デザイナーを目指しているときに、たまたま照明器具のデザインの機会に恵まれた。その時、明かりを入れた瞬間の変化に驚き、目覚めたのがこの道に進むきっかけになったそうだ。しかし、昭和30年代、40年代の高度成長期、日本では“光をデザインする”ことに関心は低く、北欧の光のデザインを集めた本に出ていた先生に手紙を出して、フィンランドで、そしてドイツで勉強。その後、日本に帰国しフリーランスで仕事を始めたとき、2年後の大阪万博にめぐり逢い、黒川紀章など高名な建築家と一緒に仕事をする機会に恵まれた。が、間もなくオイルショックを迎え、“照明は消せ、いらない”の風潮の中で苦しんだが、海外から声がかかり、サウジアラビアの豪華な迎賓館の仕事などで寝る暇もないほどの忙しさの中で、日本での東京駅レンガ駅舎のライトアップの仕事が舞い込んできた。これが日本での最初の仕事で、これを契機に東京タワーなど国内の仕事が広がっていった。
対談の中で興味をひかれたのは、世の中にあまり関心が向けられていなかった”ライトアップ“に生涯をかける決断をされ、それを成功に導かれたそのプロセスだ。石井さんが言っておられる「継続は力なり」「一念岩をも通す」というのも真実だが、その原点は、村上先生も言っておられる
「何か大きな力が働いているとしたら、それは感動の力だ。感じることで人は動く。“知動”という言葉がないように、いくら知識がたくさんあっても、それだけでは人は動かない。感動があるから、そこに行動が生まれる」
だと私も思う。石井氏もこの言葉を受けて、「まさに30代後半からやっていた“ライトアップキャラバン”がまさにそれだった」と言われている。「世界各地の美しい夜景を日本都市にも」との思いで、例えば京都で、提案しても市役所の賛同が得られないなかで、自腹で二条城や平安神宮周辺の照明をし(許可を得て)、観光客の評判をとりながら、札幌、仙台、金沢など各地で同じようなキャンペーンを実施した。まさに、大学卒業後の、デザインした照明器具に明かりを入れたときの感動と目覚めが石井氏の原点となり、フィンランドの先生への手紙や“ライトアップキャンペーン”の行動につながり、現在の華やかな各地のライトアップでの景観つくりを成し遂げられたことに大いなる敬意を表したい。石井氏いわく、「夜景を綺麗にすると、その地域一帯における経済波及効果は11倍にもなる」とのこと。電力節減にも気を使いながら、ますます娘さん(石井 リーサ・明理)ともども頑張っておられる。

トップ選手は周囲の支えがなくては・・・

2012年ロンドンオリンピックで、日本卓球界の悲願だった初の五輪メダル(団体銀)をもたらし,リオでも銅メダルを獲得した卓球女子ナショナルチーム前監督村上恭和氏が「致知2017.1」の連載記事「20代をどう生きるか」に登場されている。
ご本人も中学、高校、大学そして実業団と精神的にも紆余曲折を経ながら実業団トップ選手になり、日本生命卓球部の監督に招かれ、チームを日本一に導くと同時に日本女子ナショナルチームのコーチに就任、2008年の北京オリンピックのあと監督に就任された。村上氏曰く、選手はみなオリンピックでメダルを取りたいという。だがその中で達成できるのは4年に一度3人だけという厳しさ。メダルを取れる人ととれない人の差は何か?
最初の分かれ目は、本気で思っているか、口先だけか。口先だけの人は行動しない。そして最後は途中で諦めないこと。さらに、次にあげられた村上氏の言葉により共感を覚えた。
支えてくれる人間が多ければ多いほど、達成する可能性は高まる。実力が拮抗する中で最後に勝敗を決するのは、目に見えない思い、周囲の応援がどれだけ多いかだ。何の世界でも、実力と運さえあれば、いったんは成功するでしょう。しかし、より長く、より高く成功するためには自分を支えてくれる仲間、味方がどれだけ多くいるかに尽きると思う。だから周囲の人に感謝できない人間は成功し続けることはできない。このことはスポーツのみならずあらゆる職業の人に共通する成功の条件ではないだろうか。
村上氏も和歌山相互銀行の時、監督によく逆らっていたが、仲間のことを思いやる気持ちを諭され、卓球を本気でやるようになり、今でも感謝の気持ちで一杯という。私も小学校、中学校の恩師をはじめ、高校時代、大学時代の友人、そして会社の同僚、上司、後輩、取引先の方々と多くの方々のお世話になったおかげで今があり、今でも感謝の気持ちをもって、お付き合いさせていただいており、リタイア後の生活に大きなゆとりと幸せをもたらしてもらっている。人生で“ありがとう”と言える人が何人いるかが、その人の人生が勝者となる(幸せとなる)カギとなると言えるのではなかろうか。

カアル・ブッセの詩「山のあなたに」に学ぶ

山のあなたの空遠く、
「幸(さいわい)」住むと人のいふ
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かえりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ
なつかしいドイツの詩人カアル・ブッセの詩「山のあなた」だ。中学生の時に習ったこの詩は、上田敏の名訳もあり、記憶に鮮明だ。その頃、深く意味も考えず、「小諸なる古城のほとり」などと共に、美しい文語体のリズム感が心に響いたのだろう。
この詩が、当ブログにも何度か紹介した国際コミュニオン学会会長でシスターの鈴木秀子氏の「人生を照らす言葉」(致知2017.1)の記事で紹介されている。鈴木氏が、ある勉強会でこの詩を紹介し、感想を述べあったそうです。多くの人は「幸せはどこか遠くにあり、それを探し求めるのが人生だ」と言い、「幸せを探しに行って、涙ぐみながら帰ってくる」否定的な考え方に疑問を呈したそうだ。退職したある男性の述懐を紹介している。「一流大学を出て、人が羨む有名企業に就職。競争の激しい中で順調に昇進したが、責任と重圧で安心感も満足感も得られず、幸せとは程遠い状況だった。退職した今の喜びは、健康でいられること、このような勉強会に参加できること、本音で語り合える仲間がいることなど些細なことばかり。現役時代どこに行っても手に入らなかった幸せが“いま、ここ”に目を向けるようになってようやく感じられるようになった」と。「No where」から「Now here」への意識の転換とも語る。
鈴木氏は言う。若いころから幸せを外へ外へと求めてきた。求めれば求めるほど苦しんで挫折し、結局、その幸せは決して遠くにあるものではないと気付く。自分の喜びや満足だけに時間を費やすのではなく、家族や縁あった人たちの幸せを祈ったり、地域社会のために尽くしたり、という行為が心の中の深い喜びや幸福感を呼び醒ます。
これまで、当ブログでも「未来を憂いても、過去を悔いても如何ともしがたい。“いま、ここ”に集中することが肝要」と言われる方々を多く紹介してきた。“いま、ここ”で出会っている人たちを愛おしく感じ、遭遇する出来事に価値を感じる。そういう心の習慣を身につけていくと、四季折々の風の変化、鳥の鳴き声、草木のなびく音など些細なことでも心から楽しめるようになる。と鈴木氏は言う。退職後に気付く人も多いと思われるが、現役時代から、このような訓練を積むことによって、今以上に“いま、ここ”に集中できるようになり、仕事の効率向上にも役立つものと思われる。